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芦刃物あれこれ(5)〜「Journeyman Blacksmith」 (09/04/23)

カテゴリー名:”芦刃物あれこれ”


2007年、夏の暑さがまだまだ残る9月のある日、彼は芦刃物にやって来た。

背はスラっと高く、髪はブロンズヘアー、瞳はブラウン。少しシャイだけど23歳とは思えない落ち着きを見せる彼は、米国のニューメキシコ州サンタフェから遥々、大阪は堺へやって来たのだ。

彼の名は"Shehan Prull"(シハン・プルール)。
肩書きは"Journeyman Blacksmith"、人呼んで「さすらいの鍛冶職人」だ。


日本へやって来たのは刃物の勉強のためである。
日本の刃物といえば、刀鍛冶や包丁鍛冶、鋏鍛冶など多種多様で世界的にも有名である。

彼は12歳の頃より、有名な鍛鉄作家の下修行を積んでおり、鍛鉄に関しては既に素晴らしい技術を持っていたので、今日までの日本滞在約一年半、刃物の勉強の側ら、本業である鍛鉄の作品も数多く製作した。

その技術とセンスの高さから各方面より鍛鉄製作を依頼され、しばしば刃物修行の時間が取れないこともあったが、その飲み込みの早さから着々と刃物に関する技術を会得、沢山の刃物も製作していった。

彼は”ナイスガイ”そのものであった。
来日して短期間であるにもかかわらず、多くの友人が出来たことでも分かる。なんと言うか、日本人より日本人だったりするのだ。頼まれたり、誘われたりすると「No」と言えない米国人なのだった。


そんな彼が一昨日、日本を発った。
一度帰国して、次は英国をさすらうのだ。

思えば彼にはいろいろと教えられた。
鍛鉄の技術はもちろん、それ以外に勤勉さ(ペラペラの日本語は独学!)、何にでも好奇心、向上心を持って挑む姿勢、型にとらわれず自由な発想を楽しむこと・・・。そして日本の文化をとても愛していた。

何だか日本の良さを思い出させてくれるような米国人でした。そんな彼の素敵な鍛鉄作品、当工場や堺刃物ミュージアムで見ることが出来ます。一度、機会があったら見ていただけたら幸いです。

今回久しぶりとなる「芦刃物あれこれ」は、芦刃物の歴史に大きな足跡を残した「さすらいの鍛冶職人」をご紹介しました。


最後に一言。「ありがとうシハン」。(芦刃物高田)


photo: Shehan Prull作・芦刃物製作所の包丁看板



2009/04/23  Comments(19472) | Trackback(0)